最近、以下のような湊かなえのインタビュー記事を比較的よく見かけるなと思ってたんだけど、
そっかー、彼女の作品が映画化されたんだったね、失念してました。

確かテレビ等でも出演した俳優さん達が宣伝するなどしていたし、
原作者も同じようにこういったメディアに対する仕事も増えるものなのか、なるほど。

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湊かなえ 小説書く意義「一言で言えます」

小説を書くときは、いつも自分が、“知りたい”“深く考えたい”と思うことをテーマにするという。では、小説を書く意義はどうだろう。発信する側として、小説が果たすべき役割のようなものを考えることがあるのだろうか。

「それは私、一言で言えますよ“想像力”です。物語に触れて、疑似体験をして、“想像する”ことを思い出してほしいんです。手紙だったら、ポストに持っていく間に、書いた内容のことを反芻したりするけれど、メールだと読み直す間もなく送信してしまうでしょう? 最近は、自分が発した言葉の先に何があるか想像することを、忘れてしまっている気がします。だからせめて、自分が発信した物語が、誰かの想像力の手助けになればいいな、って」


当然ながら映画化された『白ゆき姫殺人事件』についての話がメインではあるものの、
個人的には小説を執筆するにあたっての姿勢を語っている部分が興味深かった。

物語に触れて、疑似体験をして、“想像する”ことを思い出してほしいんです

確かに、最近起こっている事件の中にも、
「それをやったらその後どうなるか想像しなかったの?」的な案件も多いなと感じるし、
想像力が衰えた人が多くなったと思われても仕方がない社会になっている気がするものです。

“殺すつもりはなかった”という弁明なんかも最たるもので、
それをやったら死んでしまうのは分かりきったことじゃん的な事件がほんと多いと思う。

まあ、その多くは衝動的に行った事件だったりするのだろうけど、
自分だけでなく、家族や親族がその後どうなってしまうかまで考えて行動してもらいたいものだ。


そういう意味でも、ほんと小説などの本を読むことで想像力が養うことは必要かもしれないね。
読むだけで終わらせるのではなく、読書メモを書くなどアウトプットすれば
より想像力が高まっていくのは間違いないところだと思う。

読書メモを書くことを前提にして読書をすると、やっぱり自然と物事を色々と考えてしまうもんねぇ。
自然に出てこなくとも無理矢理ひねり出すやり方でも、それはそれで良いことなんじゃなかろうか。

自分自身の言葉で紡ぐ、そういう体験を繰り返すこと自体が
色んな意味で自分自身の視野を広げてくれているような気がします、なんとなく。


それにしても、湊さんも例として出している「手紙とメール」の比較の話なんだけど、
これってよく聞く事ではあるものの、メールでもちゃんと読み返して送信していると思うんだけどなぁ。

手紙と比べてやり取りが簡単だからといって、自分の言葉を反芻することなく
何も考えずにメールを送る人っていうのは、やっぱり一部に限られているように思う。

そういう人っていうのは、ペンで手紙を書こうがそれは変わらないのでは?
たぶんその人の性格によるとしか言いようがないんじゃなかろうかと。

想像力もそうなんだけど、そういう人っていうのは
注意力とかその他もろもろも必要になってくるのだろうね、そんな気がする。

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