★2009年6月8日の記事を再掲

爆笑問題のニッポンの教養 ひきこもりでセカイが開く時 精神医学本書では、精神科医の斉藤環先生と爆笑問題の二人が番組で対談したものを収録している。

この斉藤先生、第一次オタク世代でサブカルチャーやオタク的なものに詳しいらしく、割とそういった話題が本書では頻繁に出てくる。あーやっぱり“ひきこり=オタク”だよね、と連想するし、実際ひきこもりやニートを自称する人はオタクが多いと思うんだけど、実態はどうやら違うらしいのだ。

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ひきこもりの8割は部屋にいても何もせず、一日中横になっていたり座ってボーっとしているだけなんだそうな。パソコンなどしているのは1、2割とのこと。結構衝撃的な数字。

どうも真性のひきこもりの人は感動する力が一時的に落ちてしまっていて、本・映画・ゲームなどのフィクションを楽しむ余裕やゆとりがないんだとか


それから親の世話になり続けることに自己嫌悪や引け目を感じたりして、どうしようもなく萎縮してしまってそういう状態に陥ることもあるとのこと。

たまにひきこもりのドキュメント番組を夜中にやってたりするけど、それを見ると結構親など手を差し伸べようとする人に当り散らしてるシーンが流れてたりする。あれはまだましなケースで救いがあるんだなと、ちょっとしみじみ感じられた。


ではなぜ“ひきこもり=オタク”というイメージがついてしまたのかというと、1989年の宮崎勤事件が起きてからそうなったらしい。それまではオタクそのものは「見え」なかったみたいなんだけど、その事件以降一気に可視化してしまって偏見が広がったらしいのだ。同時にオタクの人も劣等感を持つようになったとか。

確かにこの事件は衝撃的だったと思う。僕自身は当時小学校の低学年だったんだけど、この事件は覚えてるもんなぁ。今の若い子はほぼ知らないだろうね。

でも、そもそも今のオタクの方達は劣等感なんて持ってないような気もするんだけど、どうなんだろうか? だいぶ市民権というか、普通のことになってると思うけど。僕自身もオタクの部類に入ってると思うけど、劣等感は皆無w

宮崎勤 – Wikipedia


爆笑問題の太田さん自身も高校時代に精神的にひきこもっていたらしく(テレビ等でも結構語られてるね)、当時島崎藤村にものすごくはまったみたいでその話もされている。そこで面白い記述があった。

太田「そう。だからそこで自分をオーバーラップさせるわけですよ、その物語の主人公を。そうすると、『あ、自分だけじゃないんだ』って思えてくることがある。今のアニメなんかもそうなのかもしれない、もしかしたら。綾波レイと自分の姿をダブらせるっていう」

斉藤「アニメとかライトノベルと呼ばれる、イラストに女の子が描かれてあるような小説がいっぱい出てますけど、これは完璧なフィクションなのに、みんな私小説として読んでるんですよ。自分の心が書いてあるって。フィクションですよ、完全に。女の子が魔法を使って戦ったりするような世界。これが彼らにとっては私小説と同じ意味を持つ」

太田「それはやっぱり、自分が特別だってどこかでみんな思いたいから」


確かに感情移入させて読むものもあるよね、たとえそれが完璧なフィクションであろうとも。でも、女の子が一人称のものだとなかなか私小説として読みにくいんですが…それがファンタジーだと特に。

あと、自分をオーバーラップさせた主人公を、それを特別視しろと言われてもできにくい気がしない事もないね。いやむしろできない。


綾波レイという言葉が出てきたように、エヴァの話もちょっと出てくる。太田さんは95年の最初のオンエアで見たらしい、スゴイです。斉藤先生もビデオで見たとのこと。

エヴァってほんと幅広く人気があるんだね。それに伴って「セカイ系」の話も出てくる。個人と世界しかない、途中の社会や世間などの中間がないということからひきこもりと関連付けて語られている。


それから太田さんはこんなことも言っている。

太田「おれは本当にひきこもりがよくないとは思わないんですよ、全然。自分がそうだったし。その言ってみれば『外に開いていく』っていうことと、『内に閉じていく』、で、進んでいくっていうことは、同じくらいのスケールだよね。
いや、むしろ中に行った方が、広いんじゃないかっていうぐらい。そうすると、そこから生まれるものっていうのはいっぱいあるじゃないですか」

斉藤「あると思うんですけどね。でも、田中さんにはどんな感じを持ちます?」

太田「こいつなんか薄っぺらですよ、社交的なくせに」

田中「ひきこもりみたいな経験は何もない」

太田「空洞だから」

斉藤「でも社交的でしょ」

太田「社交的なだけで」

斉藤「だけでって言うけど、結構それはいいことだと思うけど(笑)」

太田「だってさ、中がからっぽなんだよ。自分の内側を見たら何もないから、外を見るしかないんです」

斉藤「でもこれね、必然なんですよ。僕はある本で研究したんですけど、自分がありすぎる人はね、コミュニケーションが下手なんですよ、必然的に。でね、ないとコミュニケーションがめちゃめちゃ得意になる」

太田「そのかわり何も残らない。それをコミュニケーションと読んでいいのか」


若者のすべて―ひきこもり系VSじぶん探し系この「外に開いていく」と「内に閉じていく」というのは、割とよく言われていることだと思うけど、よく言われているからこそ重要なことなんだろうね。

何か一つのことを突き詰めようと思ったら、ひきこもる時期が必要だと誰かも言ってたし。誰だったっけなぁ? ちなみに斉藤先生の言う「ある本」とは「若者のすべて」のこと。


他にも、カート・ヴォネガットやサリンジャー、しょこたんのことも語られていて、最初から最後までかなり濃い話が続きます。正直、全部引用してしまいたいくらい興味深い話がてんこ盛り。いやぁ~お腹一杯になりました。

それにしても、斉藤先生の爆笑問題ファンぶりがスゴイw







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