★2009年6月26日の記事を再掲

翔太と猫のインサイトの夏休み―哲学的諸問題へのいざない (ちくま学芸文庫)本屋さんのポップに「川上未映子さんの私の1冊」という風に紹介されていたので、ちょっと気になり本書を手に取ってみた。

川上未映子さんの私の1冊「翔太と猫のインサイトの夏休み」永井均

なるほど~なかなか面白い。何が面白いって、子供の頃に感じたり考えたりしたことがある事柄を思い出させてくれるところが面白い。今見て感じて生活しているものって現実なのか夢の中の事なのかとか、自分以外はみんなロボットなんじゃないかと思う事とか、こういうのって僕は幼稚園児の時に感じたことがあったので、すごく興味深く読ませてもらうことができた。

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このような他愛のない事ってみんな小さい時に一度は考えたことがあるんじゃないかと思うけど、これも哲学だったんだね。子供はみんな純粋に哲学してるんだなぁ、なかなか感慨深い。


本書の裏表紙にも「子ども」のための哲学入門と書かれていたりするんだけど、本書の内容をほんとに「子ども」が読んじゃうわけ? と思ってしまった。「子ども」が考えそうな疑問ではあるんだけど、割に難しい内容になってると思うんだけどなぁ、特に1、2章あたり。お受験戦争を勝ち抜いて進学校に通ったりしてる子なんかは読むのかもしれない、凄すぎるし末恐ろしい。

僕にいたっては物事と物事の位置関係が時々こんがらがっちゃって、混乱することが度々あった。だけど、この混乱した思考を正しく配置しようとする過程が、どう表現したらいいのか解らないんだけど面白い。それを正しく配置できた時の気持ち良さはひとしおなんじゃないかと。


内容は、とにかく翔太と猫のインサイトが徹底的に議論を戦わすというものなんだけど、そのねちっこくてしつこい議論こそが哲学の本質らしい。猫のインサイトはこう言っている。

議論のしつこさは哲学の命だよ。哲学はね、科学のように、実験とか観察とかいった実証的な作業もできなければ、数学や論理学のように、形式的な論証手続きも持っていないんだ。といって、思想のように、論証ぬきで人の心に訴えるような意見だけ語ればいいようなものでもない。自分が心の底から不思議だなあって思った問題を、考えられるあらゆる場合を想定して、力のおよぶかぎり周知緻密に、徹底的にしつこくねちっこく考えぬくこと以外には、哲学にはこれといった方法はないんだよ。哲学から議論の過程のねちっこさを取ったら、単なる思想になっちゃうからね。それはまさしく哲学の死なのさ。


それから、著者のあとがきにこうある。

一般の理解に反して、哲学とは主義主張や思想信条のことではない。その正反対である。哲学とはむしろ、主義主張や思想信条を持つことをできるだけ延期するための、延期せざるをえない人のための、自己訓練の方法なのである。少なくとも、本書が思想書として読まれるようなことだけはないようにと、私は願っている。


なるほど、そうだったのかぁ。僕は完全に哲学と思想を一緒くたにしてしまっていた。哲学者が思想を提唱してるもんだとばかり思ってたんだけど違うんだね。もちろん中には思想を提唱してる人もいるだろうけど、そういった思想を持ってしまった時点で哲学者ではなくなってしまうということなのかもしれない。

「哲学とは深く考えること」と誰かが言っていたと思うんだけど、やはりそこから導き出された答えよりは、その思考の過程が哲学だということなんだね。自己訓練の方法かぁ~なんとストイックな学問だこと。。いや、学問自体ストイックか。そういえば“哲学説”という言葉があると思うけど、あれは一体なんなんだろうか? 説ということは思想になってしまわないのかな?


本書では、ナチスやオウム真理教についても言及されてたり、「培養器の中の脳」などちょっとSFチックな話なんかもあって、議論ばかりではあるけれど飽きることなく読むことができた。読んでてかなりくたびれる本ではあるけど、またいつか再読したい、そう思わせてくれる内容。






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