★2009年7月24日の記事を再掲

天使のナイフ (講談社文庫)乱歩賞をぶっちぎりで受賞したというのを小耳にはさんで読んでみた。これがデビュー作なのか~、なんという完成度なんでしょう。大変読み応えアリ。

本書は、少年法や刑法41条(十四歳に満たない者の行為は、罰しない)がテーマ。加害者の人権の方が大切にされている中での、被害者の心の葛藤や被害者からすると理不尽な法制度などが描き出されている。

【スポンサードリンク】


2001年以前の旧少年法では、裁判所に検察官のような人物は一切出廷できず、少年を守ろうとする近親者達だけで審判が進められていたらしい。被害者とその家族は傍聴なんてできなかったとのこと。正直、こんなことで少年は罪を悔い改めるということができるのか? と当然のごとく思わざるを得ない。


ちょっと調べてみたんだけど、少年審判の被害者の傍聴は2008年の12月15日にスタートしたんだって。つい最近じゃんか。これまで何十年にも渡って被害者から要請があったと思うんだけど、なぜ今まで放っておかれたんだろうか? まさに被害者無視の社会だね、こりゃ。


かといって、加害者の人権を蔑ろにしても良い訳ではない。本書に出てくる元少年院法務教官はこう言っている。

被害者の方たちの話を聞いて、旧少年法が抱えていた問題を痛感しました。被害者には事件のことを知るという、当たり前の人権すらなかった。贖罪感情を深められない矯正教育。ただ子供の人権だけを声高に主張する保護主義に疑問を感じました。しかし、少年たちを厳罰に処せばそれでいいという論調にも疑問を感じます。子供には教育が必要なんです。少年院と少年刑務所では理念がまるで違います。今の刑務所制度からすれば、少年に厳罰を科して少年刑務所に入れるということは、更正を諦めたに等しいことです。きちんとした教育を施さず、罰を科す労役だけをさせながら何十年堀の中に閉じ込めたとしても、少年たちはいずれ社会に戻ってくるんです。それが何を意味するのか、桧山さんならお分かりでしょう。


被害者の気持ちを慮って、加害者を厳罰に処したとしてもいずれ社会へ復帰してくる。無期懲役になったとしても、模範囚にでもなっていたら十年程度で出てくるんじゃないだろうか。しかも、更正のための教育を受けていないままで…。

このジレンマはものすごいものがあるね。もちろんそんな教育を受けなくても、贖罪の気持ちを自ら芽生えさせる人だって当然ながらいらっしゃるんだろうけど。


でも、そもそも贖罪や更正ってどういったものを言うんだろう? 主人公もそのことについて悩んでいる。

罪を犯した者が勉学に励み、真っ当な仕事に就くことが更正なのだろうか。二度と刑罰法令に触れる行為を行わないということを更正というのだろうか。確かに社会にとってはそれも重要なことだろう。しかし、桧山は違うと思った。これから自分がどう生きていくかという前に、自分が犯してしまった過ちに、真正面から向き合うということが、真の更正なのではないだろうか。そして、そう導いていくことが本当の矯正教育なのではないかと。


立場によっては、どうしても考え方が違ってくるというか偏ってくるものだ。でも、被害者からしたらその事件を忘れて欲しくないと願うし、向き合って欲しいと考える。それが社会的にも自然な考え方だし、加害者側の人たちもその立場になる前はそういう考えを持っていたはずだと思う。

立ち直らせるということってどういうことなのか? それは決して過去を絶つということではないでしょう。


それから、本書は乱歩賞ということもありミステリー小説なんだけど、後半は結構衝撃的な事実がばしばし出てくる。犯人は読んでて途中解っちゃったけど、物語の展開は予想できなかった。しかもまさかの共犯者が…。結構伏線は張られていたみたいだけど、気付かなかったなぁ。

なんというか、本書の事件の発端は全て“恨み”から来ているというところが中々キツイものがあった。元凶とも言うべきものも“逆恨み”から来てたしね。非常に理不尽に感じるし、何より切ない。まあ、リアルの事件でもこの“逆恨み”というものが元凶というのが多いとは思うけどね…。


それにしても、贖罪というものの難しさについて考えさせられるものがあった。被害者によっても、贖罪の考え方ってそれぞれ違うんだろうし。それは担当してくれる弁護士にも言えるわけで、それによって涙を呑む人も沢山いるのだろうなぁ…。非常に難しい問題だ。できれば法曹界に進む人全員に本書を読んでもらいたいです。







Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

« »

Post Navigation