★2009年7月28日の記事を再掲

万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)「1973年のピンボール」が本書タイトルのパロディだという話を聞いたので、読んでみた。世間的には評価が高いみたいなんだけど、僕にはあんまり良さが解らなかったなぁ。面白かったかと言えば微妙だけど、読ませる筆力はすごくあるね。その辺はさすが大江健三郎という感じだった。

物語は、小さなコミュニティ内での出来事が語られている。終盤起きる大きな事件を迎えるための下準備のごとく、中盤までは割りと坦々と細かい事件や衝突が描かれており、それが沸々とゆっくり温度上昇をかさね熱を帯びていく。すべてはクライマックスのために。

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読んでいて万延元年と現代起きている事件が対になってるんだなぁというのはすぐ解ったんだけど、なぜあそこまで谷間の村という小さなコミュニティに鷹はこだわったんだろうかねぇ。その辺が多少気になった。

鷹や蜜も一度は外(海外)の世界に目が行っていたはずだというのに、どこか腑に落ちない。


鷹が過去の償いをしたいと思い、その切っ掛けが欲しくて、あのようなある種クーデターみたいなことを起こしたのはなんとなく理解できる。万延元年の一揆を再現するというカモフラージュが、彼の自尊心を保つためには必要だったのだろう。だけど、償い場所は過去にいくらでもあったはずなのだ。安保闘争しかり、アメリカしかり。


鷹は蜜に、自分がこれまで抱えてきたような足枷を兄にも抱えて生きていってほしいと思ってのことなのかな? 一見仲の良さそう兄弟ではあるけれど、弟は兄を頻繁に嘲笑する。

この谷間の村での事件やラストの鷹の行動も、全ては蜜を嘲笑するためなのか? 鷹が蜜の妻にしたことも含めて。色んな意味で“悲劇”的な物語だね


なんというか、非常に濃い話なんだけど、いまいちよく解らなかったなぁ。結局、蜜の言う「熱い『期待』の感覚」ってなんだったんだろうか? それも読んでるうちにいつの間にやら忘れちゃってたし…。だけど、大江さんの文体は面白かった。







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