★2009年8月10日の記事を再掲
これってほんとに中学生に向けて書かれたものなのか? ということ。正直、これってそこそこ難解なんじゃないの? 難解か平易かという問題をひとまず置いておいたとしても、そもそも内容的に彼らが食い付いてくるとは到底思えなかったなぁ。
初めの半分くらいは哲学の変遷をひたすら読まされているという感じで、基本説明ばかり。哲学のビッグネーム達の考えとかを紹介されるばっかりで、ほとんど哲学してない印象。
半分以上過ぎたところで、やっとこさ「自分とは何か?」「なぜ人を殺しちゃいけないのか?」などの有名で普遍的な問題が紹介されます。そして、最後の最後で「君がもし…」という風に初めて読者に向けて語りかけが入り、一応ちょっぴり意識はしてたんだねと思わせてくれるという、その程度のことだった。。
ほとんど独演会状態だね、これは。読み手にあまり考えさす猶予を与えてないのでは? 「超」入門というタイトルを付けられているのでもっと違う内容のものをイメージしてたけど、なんというか著者の言いたい事ばかり(あくまで言いたい事であって、著者が自分で考えたことばかりではない)を、あたかもそれが正しいことであるかのように読まされてしまう危険性があるように感じる。
その一方で、「宗教と哲学の違い」というところは結構興味深く読ましていただいた。「宗教なんかこわくない!」でその著者の橋本治氏が「日本人は宗教を“哲学”の一項目として扱っている」という見解を示していたんだけど、本書ではその2つの違いを明確に示してくれているところが面白かった。
本書では、両方とも世界とは何か、人間とは何か、死んだらどうなるのか、を説明しているとして共通項挙げており、それからそれぞれの違いを述べている。
まず宗教についてこう語られている。
宗教の特質は、世界を説明する大きな物語があり、それを伝える賢人(聖人)が存在し、みんなでその賢人を信じ、またその物語を信じるということ。そのことで、世界についての一つの共通了解が成り立ち、それが一つの共同体を作るうえで大事な役割を果たすという点にあります。
次に哲学。哲学は「深く考える」のが中心テーマだとされているけど、それは宗教にも言えることで、大事なのは、哲学と宗教はその“方法”が違っているところなんだそうな。
哲学の方法の特質は、(1)概念を使うこと、(2)原理を置くこと、(3)再始発すること、です(再始発は、後の人が、先人の提出した「原理」に対して、幾度でも新しい「原理」を提出できるということ)。哲学はこの方法で、どんなこともテーマにして考えます。実際、哲学は、自然や社会や人間や神などの問題を徹底的に考えてきました。
宗教ではその共通了解が成り立ったら、それを守り通すことが美徳なんだろうね。逆に哲学は、再始発することに美徳を感じるのかもしれない。なるほど、そういう違いなのかぁ、面白いね。
ただ、著者はこんなことも本書の中で繰り返し述べている。
共通の了解をつくり出すことが、哲学である。
えぇーー! ほんとに? まあこれが「原理を置くこと」ということなんだろうけど。宗教でいうところの物語ではなく、概念を用いて多くの人が納得できる「共通了解」をつくり上げていく、これが哲学とのこと。こうしてみると、やっぱり宗教と哲学は似てるのね。。
それにしても、本書をほんとに中学生が入門書として普通に読んでたりしたら、なんかもうカルチャーショックを受けちゃうだろうなぁ。中3くらいなら読めるかもしれないけれど、もし小学校から上がってきたばかりの子が読んでたりしたら自分のレベルの低さに号泣してしまうことだろう…。
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