★2009年9月7日の記事を再掲

世界の終わり、あるいは始まり (角川文庫)ニュースなどで何か事件が起こったと報道を聞いたとしても、自分の家族や親しい人が被害に遭わない限り他人事でしかない。大抵の人はそう思うはずだ。誰それが死亡しました、殺されましたというのは、只の情報でしかない。亡くなった被害者のことよりも、加害者が罪を犯した動機を何よりも知りたいと思うのが人間の性だろう。

その上、「自分の家族は罪を犯すわけがない、人を殺すわけがない」と何の疑いもなく思っているのも普通のこと。何の根拠もないけど、家族ならばそう思うものだ。

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しかし、その自分の心の中にある揺るぎないものがある時崩れてしまった時、人はどうするだろう? 何を考えるだろう? 本書では自分の息子が男児連続誘拐殺人事件を起こしたのでは? と疑惑を深めていく父親の葛藤が色濃く描かれている。

結局父親は、どれだけ都合の良い前提条件を用意しても、自分や家族が救われない結末しか頭の中で描くことができない。どうあっても、ネガティブなシミュレーションばかり繰り返してしまう。一家心中を考えてしまうほどの絶望感、悲惨すぎます。自分自身が悪いわけじゃないんだけど、なぜこうなってしまったと自分に問い続けるしかない。ほんと辛過ぎるね。


手紙 (文春文庫)マスコミは被害者側の家族ばかりをクローズアップするけれど、実際は加害者側の家族の方もとんでもなく大変な状況に置かれているんだなぁと改めて考えさせられるものがある。これまで住んでいた土地にはもう住めないし、仕事も辞めざるを得ない、マスコミに追われるのでとにかく逃げ回る生活、最悪の場合一家離散の憂き目に…。

東野圭吾の「手紙」でも同じような状況が描かれているけど、もはや加害者家族には人権というものが無いに等しい状態なんだと言えるのだろうね。


特に少年犯罪は刑法第41条(十四歳に満たない者の行為は、罰しない)で守られていることもあり、世間はそれを不満に思うこともあるので絶対折り合いがつくことはないだろう。大衆は子供がらみの事件にはとにかく強い関心を示すものだしね(逆に警察の方は慎重になる) なんだか酒鬼薔薇事件(神戸連続児童殺傷事件)を思い出してしまうんですが…。

神戸連続児童殺傷事件 – Wikipedia


それにしても、本書を読んで子供にパソコンを与えるということに、怖さというものを感じてしまった。今やネットの情報って知識の泉だと言えるからねぇ。中には自分が賢くなったと錯覚を起こしてしまう子もいるかもしれない。

子供が没頭して何かに取り組むというパワーは計り知れないものがあるし、ほんと親御さん達は注意すべきことだろうと思う、携帯電話のことも然り。凶悪事件の低年齢化を懸念する声も、こういった本を読んだ後では迷わずうなずけるところだわ。。

あと、ラストはちょっと微妙でした…。







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