アイの物語 山本弘
★2009年9月10日の記事を再掲

本書をSFのつもりで買ったんだけど、どうやらそうじゃなかったらしい。物語の読み取り方、物語の消費の仕方などを語るために、SFという題材が只必要になったというだけ。たぶんそうなんじゃないかと。本書の本質は物語論に有り。 ← これです。

マシンが地球を支配している世界が本書の舞台。かつて人間が創造した“物語”を、マシンが人間のために語るというのが大まかな流れになっている。

何のために? それは、物語には価値がある、物語で世界を変えることができる、自分自身の中の世界だって変えることができる、ということを教えるために。

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「話を読むという行為は、一種のロールプレイ」だと、マシンは人間に語り、

物語それ自体は生命を持たない単なる文字の羅列にすぎないが、それを読者が読むことにより、読者の心とキャラクターの心が世界を超えて噛み合い、生命が吹き込まれる


ということを思い出させてくれる。


それからマシンはこんなことも語っている。

私が言おうとしたのは、ヒトは感動したことを「真実」と呼びたがる習性があるということよ。真実とフィクションを見分けるスキルが低いの。「これは本当にあった話です」と言われれば、あからさまなフィクションであっても真実と信じてしまう。それが心を揺さぶる話であればあるほど、フィクションではないと思いたがる。「真実」というシールを貼らないと価値が下がると思っている


うん、これは言い得て妙だ。「私はノンフィクションしか読みません」って人が時々いるけど、こういうことなんだろうなと思う。だけど、人はこういう思いを心の底では皆持っていることだろう。

「真実」というシールは、やはり価値あるものだと揺るぎないものだと信じている。まあ、そこにブレがあったら何を信じていいのか解らないとも言えるよね。


しかし、物語を愛している人は、フィクションは「しょせんフィクション」ではないことをちゃんと知っている。それは時として真実よりも強く、真実を打ち負かす力があるということを。大切なのは、それが人を傷つけないか、幸せをもたらすかどうかということだろう。

なので、フィクションが真実よりも正しいことも大いに有り得ると思う。人は間違ったことを信じ続けることが多分にあり、それを間違いだと指摘されると激しく動揺し認めまいとする。それが無くならない限り、真実しか価値はないなんてことはとても言えないんじゃないだろうか。


PLUTO (1)時々「なぜ本(小説)を読むの?」って、ものすごく根本的な質問をする人がいると思うけど、本書を読んだらもしかしたらその答えが見付かるかもしれない。そういう人はお試しあれ。

あと、解説を書いている豊崎由美さんも言っているんだけど、本書は“優れた人間論”としても読めるところが素晴らしかった。しかもそれをマシンから教えられるというところが面白い。色々と考えさせられます。ちょっと漫画の「PLUTO(プルートゥ)」なんかも思い出さされた。



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