★2010年2月20日の記事を再掲

出発点―1979~1996本書は分量もさることながら、内容が濃いーこと濃いーこと。色んな媒体から宮崎さんの言葉を取ってきてまとめてあるという、なんともスペシャルな書籍だと言える。

子供の教育問題や環境問題について、一癖も二癖もある言葉を残している彼なんだけど、80年代中頃からすでにそういった話をメディアの前で語っているみたいだね。

なんかちょっと、テレビに向かってグチるオヤジに毛が生えた感じに見えなくもないんだけど、一応グチるだけでなく提案もしているところが只のオヤジとは違うところ。でも、その語り口は日本の未来がないように聞こえてしまってなんとも言えない…。

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また、80年代初頭あたりでは、アニメ論なども語っていたみたい。これからアニメの世界に入ってくる人へのアドバイスや、創作の過程、アニメーターの裏側なども包み隠さず語っているところが印象的。最近では彼からそういった話はなかなか聞けないと思うので、割と貴重かもしれないね。


物語における“動機の喪失”について、こんなことを語っている。

 おそらく、あらゆる通俗文化の中で、一番遅くまで、愛と正義にこだわっていたのがアニメだったのである。もっとも、これは確固たる考えがあったからではなく、集団作業とか公共性とか、マンガの後追い分野だったりする理由で時流に遅れただけだったのかもしれない。
 いま、作り手たちは、もはや主人公たちに自発的な動機を与えることができなくなっている。管理社会の中で、人間の努力の空しさを、どうしたわけか何もしないうちに受け入れてしまったようだ。かつての、当面の敵「貧乏」も何やらはっきりしなくなって、戦うべき相手が見つからなくなってしまったのである。
 残るは、他のジャンルがそうなっているように、職業意識しかない。ロボットの兵士だから戦い、刑事だから犯人を追い、歌手を志望しているのだから競争相手に打ち勝ち、スポーツの選手だから努力するのである。あとは、スカートの中への関心か、ズボンの中へくらいになってしまった。


これは20年以上前の話だから、今のアニメはもしかしたら変わっているかもしれないけれど、上記のことが現在まさに当てはまっているだろうものってゲームになるんだろうね。


アニメがマンガの後追いだというのなら、ゲームはアニメの後追いだろうと思う。一番物語性が重要視されるものはRPGなんだけど、いわゆるJRPGと呼ばれるものは今完全に行き詰まりを感じてるんじゃないだろうか? ユーザーはかなりそこに危惧してるよね。

なかなか職業意識では物語は創れないし、反体制ものが多くなっている印象。これからどう変わっていくのか、ずっと停滞したままでいってしまうのか、ちょっと心配ではある。


それから、手塚治虫について語っている部分もあった。

これは先輩から聞いた話ですが、「西遊記」の製作に手塚さんが参加していたときに、挿入するエピソードとして、孫悟空の恋人の猿が悟空が帰ってみると死んでいた、という話を主張したという。けれどなぜその猿が死ななくてはならないかという理由は、ないんです。ひと言「そのほうが感動するからだ」と手塚さんが言ったことを伝聞で知ったときに、もうこれで手塚治虫にはお別れができると、はっきり思いました。


う~む、これがもし本当なら宮崎さんならずとも気持ちは冷めるよね。エンターテイメントのためなら、何でも有りってわけでもないでしょう。でも概して、こういうケースは今も多いと思う。


糸井重里との対談ではこんなことも。

宮崎 あんまりね、感受性感受性って言っちゃいけないんですよ、それはたぶん。風圧を与えあって自然に自分の影を押し付けちゃうんですよ。

糸井 より感じたら高価だっていうような信仰があるのよ、やっぱり。気をつかう人のほうがいいとかさ……。おんなじ雷でも、キャーッて言った人のほうが黙って雷聞いてる人より偉そうじゃない、いまって。結核病みが偉いみたいなさ。あれをね、壊したい、わたしは(笑)。映画も、泣いたか泣かないかっていうと、泣いた人のほうがよく感じたみらいなのってあるでしょ。

宮崎 評論家が泣いたって書くのは最低ですね。自分のほうが感じやすいから、わたしは感じる能力をまだ持ってるんだってことを書いたことなんです。泣くってのは、運動ですからね。

糸井 事実ですよ。単なる。

宮崎 なんかものすごく感動して映画が終わったとたんにワーッと拍手しているやゆがいるでしょ、やめてくれって思うときがありますよ。

糸井 宮崎さん、ものすごい保守ジジイですね(笑)。ふたりとも、さっきからずっと。

宮崎 最近よく話してるんだけど、つまらない感受性や自我のために映画作るなって言いたい。


僕もこの「より感じたら高価だっていうような信仰」は嫌いなんだよね。こういう信仰を創作側が解ってて、そこをあえて狙ってくるからほんとたちが悪い。手塚さんのケースもそうなんだけど、「単純なおまえらなら、どうせ人が死んだら感動するんだろ?」とか思われてそうで胸糞悪いです。

でも、創作期間を十分に取れないということも、そういった弊害をもたらすんだろうなぁとちょっと思った。スタジオジブリの場合、一つの映画を創るのにだいたい3、4年かけてるみたいだし、なかなかそんなに恵まれたところって少ないのだろうね。

ただ、それだけ長期間使って創作したにも関わらずヒットしなかったら目も当てられないし、単純明快で手軽く感動物を創った方が割に合う。そんな風に考えが至ってしまうのもうなずけるものだ。


評論家の話も、なるほどなと思う。確かに「泣いた」って書いちゃったら、これから観に行く人に先入観を与えてしまうよね。もうそのつもり観に行く人も出てくるだろうし。

そういった人なんかは、初めから映画の観方自体が変わっちゃうと思う。「全米が泣いた!」ってやつも、もう止めた方が良いんでは?w


押井守との対談ではこんな話があった。

宮崎 「赤毛のアン」のオープニングでバスト(ショット)がほしいねっていって、馬車の上で振り向くというカットを作ったんですよ。そうしたら、女の子から投書がきて「あれは男の見た女である」と。愕然として、ウーンと考え込んじゃいました。あれを見た瞬間に“これは男が女を鋳型にはめたがっている”って、敏感に反応しているんです。いかにもさわやかそうに振り向くなんていうことが、男が女に期待する、これあれという鋳型として受け取るんですね。いまだに解けないんです。じゃあどうすればいいのか。実際の高校生の話なんか聞くと、いま女の子の方がテメーとか言葉づかいなんかひどいそうだし。

押井 ただ、そういう実態を形にして見せて、女の子が納得するかというと、そういう気もしませんね。

宮崎 そうですね。むずかしいところです。ぼくは、あんな女、実際にはいないとかいるとか、ひどい目に遭ったんですよ(笑)。そういう目で私たちを見ているに違いないって。


この部分を読んで、今の萌えキャラを一般女性が毛嫌いする理由が解ったかもしれないw 萌え文化って完全に男が女を鋳型にはめたものだもんなぁ。なかなか考えさせられるものがあるね。


続いて、2000年代に入ってくると、9.11の問題があったのでやはり政治や社会的な問題についての話が多くなっている。対談やインタビューする相手のほうも、宮崎さんなら現状をどう考えてるかどう発言するか、聴きたくてしょうがなかったんだろうなぁと想像に難くない。


そんな中、筑紫哲也との対談でこんなやりとりも。

宮崎 自爆テロをイスラム教徒がやり始めたのは、テルアビブの日本赤軍の襲撃以降だと聞きました。自爆テロは日本から輸出したものだと。だからすごいですね。

筑紫 もっと言えば、この間、永六輔さんが日本人はテロリストを好きなんじゃないかと言い始めた。年末になるとテレビとかで赤穂浪士四十七士をやっているけど、英語に訳すと「四十七人のテロリスト」だと言うんですね。

宮崎 そうですね。『ゴルゴ13』(さいとう・たかを/さいとう・プロダクション、小学館/リイド社)なんかいったい何人殺しているか分からない。ですから突然、テロを憎もうなんて言っても、どこか地面に足が着かないんですよ。それなのに、何か言ったらやばいという雰囲気がただよっていて、ぼくがここで何か言ったとたん(同席しているジブリの)広報の人間が、またやばいことを言ってという顔をしているんです。
 正直に言ったほうがいいんだって。ほんとうに。ぼくはそう思う。


こ、これはゴルゴを批判していると受け取っても良いのだろうか? 確かにやばいw


千と千尋の神隠し (通常版) [DVD]「千と千尋の神隠し」が公開されていた時期には、こんな話も(※山折とは、宗教学者の山折哲雄氏)

山折 宮崎さんの作品には、子どもがある異質の世界に迷い込むことによって、新しい自分自身の力を発見する、というストーリーがおおいですよね。今回の『千と千尋の神隠し』でも、湯婆婆の住んでいる隠れ里のような世界に入った子どもが、潜在能力を発揮する。これは柳田国男がよく問題にした「神隠しにあう子供」というテーマに近いものを感じます。

宮崎 そうですね。ただ『千と千尋』をつくるうえで考えたのは、そういう普遍的な問題よりも、いまの子どもたちが何にリアリティを感じるかという問題でした。彼らにとっては、たとえば湯婆婆を倒すなんて話には何のリアリティもないんですね。でも、たとえば、十八歳ぐらいの子どもが就職したらどういう目に遭うかと考えと、あの千尋とそっくりなんです。「社長が呼んでいるから一人で行ってこい」なんていわれたら、彼らは猛烈にドキドキするはずなんですね。

山折 なるほど。同じ会社の人間も、仲間ではあるけれども見知らぬ異人のような存在になってしまうことがあるわけで、それといかにつきあうかという問題ですね。

宮崎 いまの子どもは働く気構えもできていないまま就職してきます。それまでに覚えておくべきことを覚えてこないで、就職して突然、社会に直面するんだと思うんです。肉体的な成長と社会的な生活とのギャップがものすごく開いていますよね。たぶんいまの二十歳は、僕が子どものころ、「高校に行きたいけれど中学卒業したら働かなきゃいけない」と思っていた人間たちよりも子どもです。
 そのあたりのリアリティは時代によって変わるので、作り手としては、子どもたちが置かれている状況をつねに意識しなければならないと思います。


時期的には就職氷河期の頃かな? 「千と千尋」って今までの作品と比べて、割と大きい子どもを対象に創られたということなんだろうかね。湯婆婆の油屋なんかも、いかがわしいお店がモデルとなってるんだろうし、まあ色々と世相を反映させてたんだろうなぁ。


もののけ姫 [DVD]それにしても、本書を読んでると、なんかすっごい宮崎作品を観たくなってしまうんだよね。まあ当たり前と言えば当たり前なんだけど。何が一番観たくなったかと言えば、「もののけ姫」です、やっぱり。

アニミズム、反人間中心主義的な思想などなど、僕には感じ取れなかったものがこの作品の中に閉じ込められていたらしい。昔観た時には、普通にアクション要素を楽しんだというだけだったもんなぁ。まあ十代だったわけだし、そういう楽しみ方で間違いではなかったんだろうけど。今観たら相当感じ方が違うことだろうと思う、明らかに他の作品とは毛色が違うしね。


そんな「もののけ姫」公開後にも、色んな人と対談やインタビューを宮崎さんは受けている。その中で目立つのが、黒澤作品と(良い意味で)類似していると言われている点。

時代物を創ると、どうしてもそこと比較されちゃうのは致し方ないのだろう。でも宮崎さんの場合、黒澤作品にある“武士と農民”という構図とは違うアプローチをあえてしたというのに、類似していると思われちゃってるところが悲しいところだね。

必ずと言っていいほど、黒澤作品を引き合いに出されちゃってるもんなぁ、相当苦痛だったろうと思う。まあそれだけ日本人が“時代物=黒澤”という風に毒されちゃってるからなんだろうけど。この呪縛って、これからも絶対続くのだろうね。


最後、不思議に思ったのは、なぜか「ハウルの動く城」についてのインタビュー等が本書にはほぼ無いということ。2008年までだから普通に入っててもおかしくないんだけど、なぜか無い。

興行収入も良かったと思うんだけど、不思議と話題には上がってきていない、なぜなんだろう? キムタクが声優に挑戦したことだし、世間的に話題になったはずなのに。ちなみに、ポニョに関しては企画書と詩が収録されています。


あーやばい、気付いたらめちゃめちゃ長文になっていた…。まあ結論を言うとすれば、ジブリファンというよりは宮崎駿ファンは絶対買いってこと。ファンならもう買ってるか。






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