★2010年3月26日の記事を再掲

文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)なんというか、小説家である筒井康隆が文芸批評について書いているということ自体が、まず興味深かった。当然、批評について良いことばかり書いているわけではなく悪いことも書いている。それは客観的な立場からのものもあれば、小説家からの立場のものも含まれているというのがスゴイところ。

本書を批評家の方達はどう読んだんだろう?って当然気になるところなんだけど、あとがきによると、やはりというか予想通り批判されたみたいね。結構あげあしを取られたりされたらしい。

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というのも、批評家について辛らつに言っているような部分も少なからずあるからなんだけどね。プロなんだから印象批評や規範批評をするな!的なことを言ってみたり、感情移入できないのは読解力がないからだと言ってみたり。

でも、これは上から目線というよりは、いちいちごもっともな感じがして、僕らみたいな普通の書評ブロガーでも「見直さなければなぁ」と思うところが沢山あったように感じる。


まあ、ある意味で小説を書く人間がこういった批評論をやるというのは、割とそこに真実味があるような気もするんだよね。批評家が批評論をやるよりかは。

だいたい批評家って人たちは、本来は作家がいるからこそ生きていける人たちなんで、最初から作家に負けてるわけなんだけど、どうしても作家に勝とうとするの。でもやっぱり作家にかなわない。批評家が言われることをいちばん嫌うことばは『そんならお前が小説を書いてみろ』なんだけど、作家は批評家よりもやさしい人が多いから、最近じゃそんなこと滅多に言いません。それだけは言っちゃいけないことになってて、寅さんじゃないけど『それ言っちゃおしめー』なのよ。だけど批評家は言われなくたってそんなことわかってる。そこで絶対に作家が反論できない、権威のある批評の方法を文学以外のところにある難しい理論から持ってくるわけだけど、そのひとつがソシュールの構造言語学でした。こんな難しい理論だから、お前ら反論できるまいってわけ。そりゃできませんよ普通は。作家が言語学なんか勉強したら、小説の文章がおかしくなりかねないし、そもそも作家の勉強ってのは難しい理論を読むことなんかじゃない。それでも勉強しなきゃ反論できないからって、中には勉強してくる作家もいる。そこで批評家の方は、これはいかんっていうんで、もっと難しい理論を持ち出してくる。批評がどんどん難しくなっていくのはあたり前だよね。作家が読んだって何書いてあるのかちっともわからなかったりする。『今なぜ批評が難しいか』なんてこと今さらのように問題にしてるけど、原因は簡単。早く言やあそういう理由なの。


こういった部分を読むと、一体誰のための批評なんだ?って思っちゃうわけなんですが…。

以上のような文芸批評についての他に、“大学内政治”やマスコミとの関係なんかも本書の読みどころ。言ってみれば、「白い巨塔」の文学部ヴァージョンのようにも読めて、非常に面白かった。


それにしても、大学の先生で小説等を書いてたりしたら、学内でないがしろにされるとはね…。だとしたら、TV等マスコミに頻繁に露出してるような人なんかは、すでに出世のレールからは外れちゃってる人達ということなんだろうか? そういう風に彼らを観ると、ちょっと物悲しく感じなくもないな。


あと、本書の主人公は覆面作家なんだけど、彼らってそんなにも異質なものとして受け取られているもんなんだろうか? 正体を暴きたいというマスコミの気持ちも分からなくはないんだけど、相手の私生活まで干渉しちゃ駄目でしょう。

これは小説だから誇張されてるのかもしれないけど、常に覆面作家ってそういう(バラされる)危険と隣り合わせで生活してるのかなぁ、気になってしまうね。舞城王太郎なんかは、本書の主人公と同じく覆面作家で芥川賞候補になったりしてるんだけど、やっぱりハラハラドキドキしてるのかな?


関係ないけど、「唯野仁」という主人公の名前って、某特命係長と同姓同名だよね(漢字は違うけど)






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