★2010年4月7日の記事を再掲

思想とはなにか本書は、詩歌・文学・宗教・社会・政治などについての「思想」を取り上げて語られている。対談形式ということもあり普通にある思想について語った書籍よりも、比較的分かりやすかったかな? という感じ。

ただ、話言葉になっているので、言葉と言葉の繋がりが分かりにくい部分もあったのが玉に瑕かもしれない。

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以前、吉本隆明の講演をテレビで見たことがあったんだけど、やっぱりこの手の話は“文字”で見て自分のペースで考えながらじゃないと中々頭に入りにくいものだよね。その講演というのも最近のものだったから、お歳を召してらっしゃったというのもあって、非常に言葉が聞き取りにくかったというのもマイナスではあった。

それに、リアルタイムで流れていく言葉はさかのぼる事ができないというところも、僕みたいな時間をかけて咀嚼しないと理解できない人間にとっては向いてなかったみたいです。まだテレビは録画ができるけども、実際に足を運んで講演を聴いた人の中でおいてけぼりを食らった人なんかは、もう目も当てられないですな…。

その点、やはり書籍は自分で自由に時間を使うことができるから、そこが大きいよなと改めて感じてしまった。分からない言葉が出てきても電子辞書を使う暇を与えてくれる。そんな瑣末なことが大きく感じしまうね。


とまあ、うだうだ言ってないで、ちょっぴり軌道修正。

吉本隆明が「文学の思想」を語っている中で、村上春樹について興味深いことを言っています

思想の生き死に

吉本 「往生要集」はそうとういい本ですけど、中世までくると半分死んでいる本ですね。死んでいる生きているという言い方はおかしいけれど、そうですね。親鸞のものはぼくは死んでいないとおもいます。ですが思想の生き死にというのはわからないですね。芸術の生き死にというのもわからないです。芥川龍之介はいま生きているとおもいますけど、どこまで生きるのかわからない。ところが国籍不明であろうとなんであろうと堀辰雄とか立原道造なんていうのは、これはかなり生きるんじゃないかとおもいます。戦後で生きるのは武田泰淳じゃないかな。あと太宰治とかそういう人は生きますね。中野重治は生きるか死ぬか半々ぐらいじゃないでしょうか。

笠原 現代なら、たとえば村上春樹などは生きますでしょうか。

アンダ-グラウンド (講談社文庫)吉本 生きないですよ。いま生きているだけで。いま生きていて大江健三郎のつぎにノーベル文学賞が日本にまわってきたら村上春樹が妥当ということになるんじゃないでしょうか。それはいま生きているということで。あの人はそんなに生きないですよ。それをどこで判断するかといえば、たとえばオウム真理教の地下鉄サリン事件について書かれたもののなかで村上春樹のものが一番いいとおもいます。
 だけど要するにごまかしじゃないかといえばごまかしで、オウム真理教について、麻原彰晃についてでもいいですけど、それについてはなんにも自分はよく知らないからとか、宗教をよく知らないからとかいって何も触れていないのです。被害者だけに触れているのです。一所懸命訪ねていって話を聞いたりしているのです。患者さんとか遺族とかの話を聞いて非常によく触れているのです。
 だけどそれだったら始めからオウム真理教はどういうもので、どこが悪かったのか、悪くないのか、宗教なるものは人を殺していいということはみんな書いているのです。聖書にもありますしね。みんなそれくらいのことはいっているのです。本当は怖いものなんです。それをやらないで、被害者のところへ行って丁寧に話を聞くということをやる人はぼくには古典として残るとはおもえないです。いまは生きているし、これからも何年か生きるかもしれないけどそれだけです。始めっから危なっかしいことをやったやつの考え方に全然触れていないわけです。触れれば必ず文句をいうやつと誉めるやつがいるかもしれないけれど、そういうことに近づかない。最初から被害者のルポルタージュをしたらこれは誉める人は多いというのは当然のことで、僕も誉めるほかないからほめますけど、それは半分おまけして評価しているというか(笑)、これが古典として残ることはありえない。


僕は村上春樹の「アンダーグラウンド」は読んでないからよく知らなかったんだけど、彼は「オウム真理教」自体については突っ込んだことを書いてなかったみたいだね。これはかなり意外だった。だって、村上春樹とオウム真理教は割とセットで語られることが多いし、「1Q84」にしてもオウムと関連付けて語る人も沢山見かけるもんなぁ。

そりゃあ被害者のことだけ書いてれば評価もすこぶる高くなっちゃうよね…。悪く言いようがないもの。教団に取材せず安全なところばかり攻めたんでは、逃げているように思われてもしょうがない。彼にとって良かったところは、一般読者にそのように看破されなかったところかもしれないな。

彼は「カラマーゾフの兄弟」のような大作を書きたいと公言しているわけだけど、こんなことで書けるのかなぁ? とちょっと勘ぐってしまう。彼は“宗教思想”について何か書くことができるのか? 「1Q84」にも宗教団体が出てくるわけだけど、それがどのように着地するのか少し見物のように感じる。


話変わって、対談相手である京都精華大名誉教授の笠原さんも興味深いこと言っています。

笠原 先ほどレーニンがトルストイの「アンナ・カレーニナ」は素晴らしいといったという話をされましたけど、ロシア文学はドストエフスキー、トルストイ、チェーホフなど素晴らしい文学者が多くいるわけですが、彼らはすべて帝政末期でしょう。ところが革命の後、社会主義国になって、その後素晴らしい文学者が出ているかというと出ていない。古代中国でも内戦は絶えなかったけれど、文化、文学や美術はすばらしかった。近代では魯迅くらいです。現代は統一されて共産主義なのか資本主義なのかよくわからないが、経済発展はめざましい。けれど思想も文学もすぐれたものはないとおもう。こういう問題を考えると、それはひとつの逆説になっているのではないでしょうか。
 政治・経済の問題と文学・芸術の問題は必ずしも相即しない。社会は民主主義や社会主義になるのがいいとなるかもしれないけれど、それにも抗う精神がある意味で文学、芸術の精神なので、そのような批判の文学にも優れたものがあるというのは事実ですよ。
 私は自分が文学や芸術が好きだということがありますけれど、極端にいえば多少は食べ物がなくても、優れた文学や芸術があるほうがいいという気持はいまでもありますね。そういうことは民主主義の問題のなかでもっと考えなければならない。


確かに社会が混沌としている方が、文学・芸術などで優れた作品が出てくるという面もあるのかもしれないね。現在、日本の政治経済はかなり混沌としているけれど、こういう時だからこそ優れた人材が這い上がってくるのだと、ちょっと期待したいところです。

こう言ってはなんだけど、混沌としている方が政治なんかも見てて面白いもんなぁ。←そう立花隆も言ってました。


おっと、なんだか気付いたらずいぶん長くなってしまっていたので、とりあえずこの辺で終わりにしておきます。近代文学者の自殺が多い理由だとか、小林秀雄を思想オンチと言ってみたりとか、一青窈を誉めてたりなどなど、語りたいことはいっぱいあるんだけど、まとまらないのも相まってここで打ち止め。気になる方は本書を手に取ってみてくださいな。

それにしても、時折見せる笠原さんによる吉本さんに対するベタ誉め具合は、少々癪に障るきらいがあるなぁ…。







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