★2012年5月18日の記事を再掲

クリシュナムルティの瞑想録―自由への飛翔 (mind books)“思考”という人間にとっては根っこのようなものを否定する思想家を初めて知った気がする。そもそもクリシュナムルティを思想家と呼んでいいのかもよく分からないけれど。

ジッドゥ・クリシュナムルティ – Wikipedia

彼は「思考の枠組みの外側へ出ろ」と、とにかくそのことを繰り返し述べている。自らの足かせとなるような様々な概念や公式、信念、経験など、そうしたもので物事の検証や認識を行おうとすると、深い洞察や理解を妨げる、とのこと。幸せにひたり続けたいと思うのも、過去の経験の記憶に他ならない。そういったものから解放されてこそ純粋な喜びを得られるんだそうな。

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色々とハッとさせられるし、なるほどなぁと思うことは多々あるんだけど、正直その境地に到達するのって自分には到底無理だわとどうしても感じてしまうのが悲しいところ。思考、精神、自我からの解放。世俗性に囚われない生き方ってかなり難しいことだよね。文化的伝統なんかも全て思考の下にあるわけだし、ある意味DNAに染み込んじゃってるんだもんなぁ。

なおかつクリシュナムルティは、その境地に到達しようと追い求めたり、準備したうえで取り掛かるものではないとも言っている。自然に起こるものでなければならないらしい。全て意識的に行ってはいけないなんて、なんてハードルが高いんだ…。


でも、一度その境地に到達したら、相当気分的に楽になることは間違いないのでしょう。

楽とかもう、そういうレベルでもないのかもしれないけれど。だって現代社会に生きる皆が皆、思考、言ってしまえば脳みそという器官に支配されているようなものだからね。そこからの解放、自由、浄化、空虚。一体そこで出会う空間というものがどういったものなのか、非常に興味深い


いわゆる仏教における「空」と同じような概念なのかなぁ? なんて思って調べてみたら違うみたいだね。

空 (仏教) – Wikipedia

「空」の概念は非常に難解であるが故に、しばしば「虚無(無)」と混同されがちである。しかし本来は全く異なる概念であり、むしろこの虚無も「空」によって成立する物事の一部である。


ま、その境地に到達するのはなかなか難しいのだけれど、本書を読んでいるだけで悩んでいることなどが馬鹿らしくなってくるし、心が洗われる気持ちになるのは確かなので、これからも折に触れて目を通したいと思う。







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