反哲学入門
★2013年1月15日の記事を再掲

個人的には哲学史・思想史の類をこれまで一度も面白いとは思ったことがなかったんだけど、本書に関してはインタビューを元にして構成されたものだからなのか、非常に読みやすくなかなか面白かった印象。

割と全体像が掴みやすくて、解った気にさせてくれるところが良いのかもしれない。この“解った気にさせてくれる”というポイントこそ、この手の本では重要な要素の一つである気がしなこともないね。

本書では、当然ながら著名な哲学者等の話がばしばし出てくる。それぞれの方々が自然的思考(アニミズム等)か超自然的思考(形而上学)であったかというのを軸において語られていることもあって、読んでいる方も両者を意識し比較しながら読むことになるので頭に入りやすかったようにも思う。

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この自然と超自然というのが日本人と欧米人の思考法の大きな違いだったりするんだけど、だからといって日本人が超自然的思考に全くもって向いていないってこともないとは思うので、自分自身がどちらの思想体系に合うのかというのを見付ける手助けにも本書はなるんじゃなかろうかと思います。

そういう意味では確かにタイトル通りに入門書という感じで捉えるのも正解なのかもしれない。「この人の考え方好きだわ」というお気に入りを見付けて、そこから個別に書物を漁る事もできるわけだしね。

ここ近年、ニーチェの関連本なんかが日本で話題になったりもしたけれど、ニーチェに関して言えば、アンチプラトニズム、アンチ形而上学だったらしく、なるほど日本人に馴染みやすいわけだと、ちょっと納得。

でも、あれは確か“超訳”と掲げられていたし、あえて馴染みやすくしてあるだけなのかもしれないけれど。僕は読んだことがないので定かではありません。


それにしても、紀元500年頃にヨーロッパで哲学禁止令が出された時、それにより哲学体系がアラビアの地に運ばれ、やがてイスラムによって研究保存されることになったという話は非常に興味深かったなぁ。その辺の話はほんの少ししか言及されていなかったんだけど、詳しいところが気になってしょうがない。


最後、近代哲学はなぜ文体が変化したか? という素朴な疑問の答えを引用して終わりにします。

 近代の哲学書の文体はカントのあたりで大きく変わります。それはなぜでしょうか。
 近代哲学を担う哲学者の職業が変わるからです。カント以前の近代の哲学者に大学の先生はほとんどいませんでした。(中略)みな在野の知識人だったり、政治家だったり、外交官だったり、せいぜい僧侶でしたので、本を書くときも一般の知識人を読者に想定し、平明な文章を書くのが常でした。あまり特別な専門用語も使われませんでした。(中略)
 ところが、カントの前後から近代哲学の担い手たちが大学にポストをもつことができるようになりました。(中略)彼らは、日ごろかなり高度の専門知識をもった学生たちを相手にしているので、本を書くときもそうした学生を読者に想定します。当然文章も難しくなり、仲間うちでしか通用しない専門用語も多用されることになります。このあたりで哲学書の文体がはっきり変わってくるのです。




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