★2013年3月8日の記事を再掲

24人のビリー・ミリガン〔新版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)本書はあまりにも有名ということもありこれまで敬遠していて、なおかつ同じ著者の『アルジャーノンに花束を』が世界中で評価されているほどに良いと思わなかったということもあってか、完全にダニエル・キイス自体をスルーしていた。

にも関わらず、たまたま書店で『24人のビリー・ミリガン』の装丁を見て、キレイだなと思い衝動買い。ま、こういうこともあるものだ。ちなみに、その装丁というのは上に載せているものよりもさらに新しいやつ。

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で、本書は多重人格を扱ったノンフィクション、今で言うところの解離性同一性障害を扱ったものなんだけど、普段の日常でそういったものを見聞きしていない人にとってはフィクションのように読めてしまうのだろうね。

かくいう僕は鬱持ちの友達がおり、その知り合いが解離性同一性障害ということもあって何度かその人の話を聞いていたので、本書も同じように興味深く読ませていただいた(その人の場合、ビリーと同じく男女の人格があって4つに分かれているとのこと)


とはいえ、こういった多重人格について「そういうものがあるものだ」と認識しているにも関わらず、本書を読むとあまりにも具体的過ぎて若干半信半疑な気持ちになってしまうのも否めない。しかし、どんどん読み進めていくうちに引き込まれていく感じではある、このビリーという人間に対して。

とくに複数の人格(3人くらい)が人格同士で言い合いをしている風景がすごいとしか言いようがない。ほんとに?と、つい思ってしまうんだけど、僕らが自問自答していて結論等を出す時に、頭の中のどこからか違う声音が聞こえてくるという感じに近いのかもしれないな。心の中で出している声が普段の自分とは違うという人がいるのかどうかはしらないけれど。


こういった色んな人格というのは、本人が危機に直面したケースで新たな人格が発現することが多いようなんだけど、ビリーの場合“違う国籍”の人間までをも発現してしまっているところが驚くべきところだと思う。本人はアメリカ人なんだけど、イギリス人やオーストラリア人、はたまたユーゴスラビア人になってしまっている。

これら特異な人格って、一体どうやって発現するものなんだろうか? 当然本人が知識として持っていないと無理だと思うんだけど、イギリス訛りやスラブ訛りなど言葉までも変わるというのが奇妙だよね。書物やテレビ等のメディアの影響だけで完全に言葉を操れるとは思えないし、ほんとに謎すぎるというか、人間の脳のパワーに驚愕してしまう。

なぜこういうことが有り得るのかという、言わば医療的なところまで突っ込んで書かれていたら良かったんだけど、本書はビリーの半生を描くことが主体になっているわけなので、脱線していくわけにもいかなかったようです、残念。


それにしても、全人格が統合された“教師”の登場シーンは、なんだかゾクッとくるものがあるね。どう言葉で現したらいいのやら分からないんだけど、ドラゴンボールで言うところのフリーザ最終形態やセル完全体を初めて見た時のような清々しさを感じてやまない、そんな感じ。

関係ないけど、麻薬密輸組織とかが普通に登場してくるので、そういうのを読むと一気にフィクションぽく感じてしまうものだ。たぶんそれは日本人の感覚なんだろうけど、アメリカでは一般人でも割と簡単にそういった組織と関わりを持てる感じなんだろうか? ちょっと気になってしまった。







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