★2013年9月5日の記事を再掲

クラインの壷 (新潮文庫)解説で新井素子が書いているように、読後にしみじみ恐怖を感じる作品ですな。

水面下で何かが起きているのだろうなと思いながらも、ただただ坦々と読み進めていたわけだけど、何が起きているか分からないという不安感が増大していっている中で、それがピークに達したところがこのエンディングというね。なるほどなという感じでした。

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虚構と現実の狭間というか、その両方というか。それら自分自身が感じるものを現実と思う他ないわけで、虚構を生きていると思ったとしても、“思った”のは現実なのだから、その2つの領域で混乱を来たした時、人間はもはや降参するしかないのでは?

虚構をシミュレートしているのも人間かもしれないけれど、それほど巨大に発達したコンピュータだよ? 誰が制御出来るというのだろう。シミュレートしていた人がシミュレートされていたなんてことも起こりうることでしょう。科学技術が発達すればするほど、今虚構と感じているものも現実になり得ると考える他ないのかもしれない


最近では、某暴力的なゲームを数分前までやっていた8歳の子供が、親戚のおばあちゃん(90歳)を銃を撃ってしまうなんていう事件も起きているようだし、年齢が低いほど虚構に感化されやすいと言えるのは間違いない。

本書に出てくるような限りなくリアルに近いゲームであれば、大人でも区別が付かなくなってしまうであろうことは容易に想像は付くだろうし、ゲームというフリーダムな場を与えられると、人間は“より本能的な行動”に出るのは否めないのだろうなぁ


現在のテレビゲームの進歩はほんとに目覚しいものがあるんだけど、僕もゲーム好きなのでワクワクすると同時に不安感も覚えてしまうものだ。自分だけは大丈夫だなんて思っちゃうんだけど、騙されない脳を自分で構築していけるのかどうか、いやはや(ほんとは全然心配してないけどね)







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