ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む
★2014年5月21日の記事を再掲

読書好きが高じて『論考』(岩波)を手に取ったことがあるという人も多いことでしょう。かくいう僕もその一人で、数年前に読んでみたことがあるんだけど見事に撃沈。説明があまりにも簡潔過ぎて手に負えないと思ったものです。

そんな中、たまたま本書を書店で見かけてしまい、知的好奇心がくすぐられレジに直行してしまった。まったく懲りてないなぁと自分でも思いつつ、それでもワクワク感があるのが本書の魅力なのかもしれない(タイトルのインパクトというのもあるよな)

『論考』(岩波)の訳者である野矢茂樹さんが本書の著者というのも、購入の決め手になるのに十分だったように思う。やはり彼の解説で読み解いていきたい、そんな感じです。

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で、読んでみた結果、確かに『論考』を読んだ気にはなれる、それは間違いない。人により理解度の差はあれど、達成感を得られるのは疑いないことかと。

相当語り口が優しいので、難解なものを読んでいるという気がしないというのが一番のポイントだと思う。まあ、実際は難解だったりもするんだけど、理解があやふやであろうとも最後まで目を通すことが出来るというのは非常に大きい。


それから、哲学用語をちゃんと説明してくれているところが何より嬉しかった。まさか「事態」という言葉も一般的な意味とは違っていたところがかなりの衝撃

事態(一般的な意味):物事の状態、成り行き、深刻で好ましくない状態。
事態(哲学用語)   :可能性として成立しうる事実。

正直、これまで上記のような違いを知らずに読んでいたので、全然意味が通じていなかったのだと改めて驚いてしまう。たぶん、意味が通じていないことすら気付かずに『論考』を読み進めている人も少なからずいると思うので、よくよく調べてから読んだ方がいいと思います。上記の例以外にもあるので。


あと、『論考』と言えば、あまりにも有名な一文があるわけだけど、

「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」

↑ これについても、どうやらこの言葉だけがなぜだか独り歩きして、勘違いされたまま世間では引用されるなどしているみたいですな。

語れないものに対しては黙っていればいいのか? そういう意味ではなくて、「論理は語りえないのであり、示されるものでしかない」、そういったことを言いたいらしい。


そもそも、この『論考』という作品というのが「語りえないけど示されうるものの、その語りえなさを明らかにして、それを示そうとしたもの」だったりするわけだ、なんかややこしいけれど。

この示されうる領域というのが“思考の限界”(論理空間、可能性世界)であって、この「僕たちはどれだけのことを考えられるのか?」という、その問いに対する応答こそが『論考』の基本的な問いとのこと。

“思考の限界”なんだから、それこそ思考出来ないじゃないか、どこまでなら示せるんだ? ということを、像(箱庭)やら関数やら何やらを使ってあーだこーだと考えていくわけだけど、まあ僕自身の思考の限界の方が早く行き着いてしまうわけで……。


でも、本書を読んでから『論考』(岩波)に目を通してみると、結構“読める”という感覚にはなるから少しだけ感動してしまう。内容を完全に理解しているわけではないものの、哲学用語をいくつか知っているというだけでも読みやすさが全然違うので面白味が増しますな。


それにしても、人工知能がさらに発展したら思考の限界というものもさらに広がっていくのだろうか。おまけにそのマシーンが思考した足跡を解析するなどしたら、人間もそういった更なる領域を体験することが出来るのかなぁ。その辺が気になってしまった。

いや、そもそもそれを体験出来たら限界とは言えないないのかもね。




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