へうげもの(5) (モーニングコミックス)今回は、“わび数寄”というものを突き詰められて語られていた印象を持つものだ。そして、わびではなく“雅び(みやび)”を好む秀吉との対比がなかなか感慨深い。

秀吉の方も、キリシタンの宣教師による奴隷問題があってか、一度は南蛮趣味からわび数寄に傾き掛けてはいたものの、そこはやはり根っからの派手好き。なかなか利休が目指す価値観へといざなうことは難しいみたいですな。

まあ、利休を排斥し、博多の商人とねんごろになりたいという思惑もあるわけだけど。

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そんな中で、主人公の左介(古田織部)の方は、どんどんわびの世界にハマっていっている模様。「ちょっとやり過ぎだろう!」と思ってしまうほどの没頭っぷり。

昔と違って今では大名でもあるし、ある程度自由に使えるお金があるから出来る事なのだろうなぁ。子供の頃に欲しくても買えなかった玩具を、大人になって買い漁る中年を彷彿とさせるものだ。

気付けば、世間の評判は“天下一の数寄者” マ・ジ・で・す・か?

実際に、史実でもそのくらいの評価がされていたのだろうか、その辺がどうにも気になってしまう。個人的には、まだ調子に乗っているオジサンくらいのレベルにしか見えないのが悲しいところです。


★“わび”とはなんぞ?
ま、案の定、利休からも左介がやっていることは「わびではない」と一蹴されてしまう、そりゃそうだよね……。

現代で言うところの、デニムのダメージ加工・クラッシュ加工に対し趣を感じないのと同じことなのでしょう。やっぱり、わびや渋みを出すには自分で使い込んでなんぼなのだと思うんだ。

そもそも、物欲がある時点で、わびを極めたということにはならない。名物に目がくらみ、窯元にも支援している左介がわび数寄がどうのこうのとは言えないんじゃなかろうか。

「清貧=わび」という考えもあるので、それを大名がやるには少し厳しそうな感じがしてしまう(部下の手前というものがあるしね)


そんなこんなで、利休から未熟者扱いされる左介ではあるけども、ここへ来て“未熟・不完全であることの面白さ”を見出し、あらたなわびの境地を見出した模様。

まさか、こういった流れになるとは正直驚きました。いやぁ~“わび数寄”って、ほんと深くて濃いんだなと思わざるを得ない。色んな状況を楽しむ、その辺の懐の深さというものもまた面白きかな、というわけか素晴らしい。

さすがの利休も左介を見直したようで。でも、利休も利休でものすごく業が深いものだわ……。









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