へうげもの(7) (モーニングコミックス)今回は、秀吉と利休の不仲が決定的に! といった感じの内容。

史実にて利休が切腹させられるという、その事実だけは知っていたんだけど、これほど根が深く紆余曲折したものがあったとは全く知らなかったなぁ(まあ、半分くらいは創作なのだろうけど)

かつての高弟であった山上宗二の処断(打ち首) この出来事がとにかく大きかったのだろうなと想像に難くない。わび一筋である利休、そのわびの芽を摘まれてしまったことの衝撃は、あの驚愕から怒りという表情の変遷を見ても明らか。

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秀吉も秀吉で、一応処断を回避するチャンスは与えていたんだけど、さすがに宗二は自分の価値観を曲げることはできなかったようで、あえなく最期を迎えることに……。

現代と違って、昔の人は「価値観=己の生き様」であって、己の生き様を曲げることは恥ずべきことであると、そういう思いが相当に強かったことでしょう。どこぞの近隣国みたいに、いかに面子を保つかというのが、武士道であり茶道でもあったのかもしれない(命よりも大切)


正直、宗二も「鹿を指して馬と為す」という故事のごとく、おべんちゃらを言っておけば、いつか大成していたかもしれないのにね、利休もしかり。

そういうことを平気で出来た秀吉であるからこそ、天下人になれたわけか、なるほど。


★中身が無かった古織
そんな中で、主人公の古織さんは、己の“わび数寄”に対する姿勢に疑問を抱き、若干袋小路に陥っている感じなのかな。自分は世に何を広めたいのか、何をしたいのか、ただただ数寄を極めたいばかりで中身が無かったと悟る。

結局、これまでは利休の上辺をなぞってきて、そこから利休がやっていないことをやろうとしてきただけだもんね、なんだかんだで。

どこまで行っても利休ありき。“自分自身”は何がしたいのか? そこに思い悩ませる日々。


物欲の赴くままに、名物が見たい欲しい、南蛮趣味で派手にいきたいとやっていた時の方が、まだ自分の目的を持って楽しんでいたようには見えるものだ。今も傍から見えればわび数寄を楽しんでいるようにも見えるけど、実際は窮屈な部分もあったということか……。

逆言えば、それだけ利休という存在が大き過ぎるということなのでしょう。その影響力たるや半端ではない。


それにしても、伊達政宗の登場によって、京の街もわびから“みやび”に少し傾いた? ような感じの描写があったので、これからどういう話の流れになっていくのやら気になってしまう。

利休までも「私のやれることは……これまでか………」とかつぶやいていたし、古織と政宗のせいで利休と秀吉の間で決定的な破局が起こりそうで怖ろしい……。








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