現代語訳 風姿花伝何か芸事をやっているわけでもなく普段ぼんやりと生きているんだけど、前々から読んでみたいと思っていたので手に取ってみた。

「風姿花伝」、またの名を「花伝書」

明治42年まで“一子相伝の秘伝の書”として一般の目に触れることがなかったというエピソードを聞くだけでも、何かそこはかとなく感慨深く思える。今から数えれば600年も前の作品ということで、その長き時間に幽玄を感じるものだ。

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今の時代、本書がどれだけ能楽やそれに関連する芸事に対して参考になるのやら分からないものの、精神論・心構え的な部分では今でもぞんぶんに影響を与えそうな気がする。

何かを極めたいと思う人のためのメンタルの鍛え方とでも言うのかな。

学び続けることの大切さであるとか、慢心しないストイックな気持ちであるとか、下の者からでも学ぼうとする貪欲さであるとか、自分の長所短所をわきまえるとかとかetc。


本書に出てくる“芸”という言葉を“仕事”と置き換えて読むとすれば、ある種の自己啓発本として読めなくもないのかも。

「思いあがりは能を下げる」という言葉、心に留めておこう。


あと、本書のタイトル通りに「花」という文言がよく出てくる。その「花」の具体的な意味として以下のような説明があったりなかったり。

そもそも花というもの、万木千草四季折々に咲くものであって、その時を得た珍しさゆえに愛でられるのである。申楽においても人の心に珍しいと感じられる時、それがすなわち面白いという心なのだ。花、面白い、珍しい。これらは三つの同じ心である。いずれの花でも散らずに残る花などあろうか。花は散り、また咲く時があるゆえ珍しいのだ。能も一所に常駐せぬところを、まず花と知るべきだ。一所にとどまらず他の姿に移り行くことが珍しいのだ。


今でもよく、「あの人、華があるよね♪」とか言ったりすると思うんだけど、その「華」というのは本書「風姿花伝」から来ている言葉なのだろうか? その辺が気になってしまった。

今風に言えば、オーラがある、存在感がある、雰囲気がいい人物に対して指す言葉。著者である世阿弥も同じような意味合いで使用しているような気がする。







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