ダウン・ツ・ヘヴン (中公文庫)引き続き、久々に本シリーズを再読していきます。

今回クライマックスで描かれることになるクサナギとティーチャの一騎打ち、これはなかなかアツいものがあった。しかも、場所が市街地というところが非常にインパクトがある。

個人的には、「スカイ・クロラ」シリーズを想起する時に、頭の中でイメージされるのは必ずこのシーンだったりするんだよね。物語は全くと言っていいほど覚えていないけれど、この市街地戦だけが脳内にこびりついている

街中を戦闘機が低空飛行するなんて現代ではファンタジーもいいところだけど、空を飛んでいるところよりも街中をイメージするほうが非常に現実味があるから不思議なものだ。

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人間が生活している場所、泥臭い場所にこそ現実がある。それは小説内の物語だって同じことでしょう。空中、雲の上、お天道様に近いところの話をされても、なかなかそこにリアリティを感じられないという悲しさ(僕だけかもしれないけれど)

やっぱり、人間、地に足が付いてないと不安に襲われてしまうというのは、虚構の話であろうが同じなのだと再確認しました。逆に、その不安感を楽しむために本書があるのだと考えれば、より楽しめるのかもしれない、なんとなく。


ま、そんなことはさておき、本書では戦争が民衆の捌け口のようなものになっているらしく、その辺にちょっと驚かされてしまった。

一部の特別な人間だけに戦わせて、それによって民衆の捌け口を用意する。そうしたうえで、今の平和が築かれているんです。あるときは、戦うことに反発するエネルギィを、その一箇所に集める。しかも、それは政治の枠組みの外にある。上手いやり方です。あるいは逆に、戦う物に感情移入させることで、反社会的な破壊行為への動機を抑制できる。誰が考えたのか知りませんけれど、つまりは、大昔からどの文明でも行われてきた戦いを実質的最小限にして、しかもそれが生み出すメリットだけは掬い取る、というやり方なんです。


現代においては、スポーツの代表戦なんかが戦争の代わりなんて言う方もいるけれど、そういったものと同じような感覚なのだろうなぁ、本シリーズの戦闘機による戦争は。

スポーツくらいでは、民衆のマグマのように溜まりたまった不満などの捌け口にならなくなってしまった世界観ということなのだろうか? それにより企業同士の戦争が行われるようになったのだと考えると怖ろしいとしか言いようがないわけで……。

実際に死人は出ているものの、民衆はあくまでもスポーツなどのパフォーマンス的な感覚でしか捉えていないのだとしたら、闇の深さが半端ではない。

大昔から殺し合いを続けてきたなんて、もう誰も覚えていない。
それは遠い昔話、別の宇宙のファンタジィ。


主人公のクサナギも上記のようなことを言及しているし、国内で行われている戦争と呼ばれるものしか今の国民は知らないということなのかなぁ?

現状、周辺国とかに脅威となる国とかないのだろうか?? その辺が気になって仕方がない。
ほんとこの「スカイ・クロラ」シリーズは、世界情勢とかがどうなっているんだか……。


それにしても、カンナミ少年って何者なのかなぁ。そもそも実在するのかが気になってきた。







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